湯浅美和子

市民がつくるエネルギー問題のオルタナティブ  7月30日

 今日は久々に「エネルギー」モノの学習会への参加。市民セクター政策機構の月例研究会。未だに市民風力関係のNPOのメンバーなのだが、最近の動きに全くついていけていない。かつて「否応なく東京電力の電気を買わなくてはならないのはなぜ?市民が電気を作り出し、ほしい電気を求めることは出来ないの?」という思いから風力発電建設を目指す方たちと模索したのだが、なかなか千葉での実現は難しかった。
 今回の研究会の案内に「私たちが原発への依存を減らし、地域分散型で、少々価格が高くても再生可能なエネルギーを選びたいと願う時、何が障害になっているのでしょうか。・・・日本のエネルギー政策の問題点、電力供給の仕組みについて学び、市民が自治する電力供給の仕組みについて展望します」とあって、その懐かしい響きに誘われて参加。
 7月30日はその第1回目「日本の電力供給システムは、なぜ生まれたか」で、現在の状況に至った歴史的背景のお話し。
現在は電力会社は10社(北海道、東北、東京、中部、北陸、関西、中国、四国、九州、沖縄)。しかし大正末期には実は700社もの電力会社が存在していた。各地の財界人や旧士族らが中心となって電燈会社を設立したり、また鉱山や紡績工場、鉄道会社も自家発電設備を作っていった。本来電力会社は地域のものだった!
 しかし、その後の電気需要の拡大や技術革新によって、拡大競争が激しくなり経営が弱体化、合併吸収がすすみ、また戦争による国家統制により「発電」「送電」は「日本発送電株式会社」一社に集められ、それを9配電会社によって配電する形となった。
 戦後、ポツダム政令によって「日本発送電」と9配電会社を解散し、9電力会社に再編。1951年、現在の9電力会社(当時沖縄は米軍政下で、復帰後「沖縄電力」に)が誕生した。「発電」「送電」「配電」が一元的に管理され、地域ごとに担う体制となった。
なので、電気を選んで使いたい、と思っても出来ない体制となっているのだが、歴史的にみるとかつてはそうではなかった!
講師の「足元から地球温暖化を考える市民ネットえどがわ」の事務局長・山崎さんは「再び分割して、配電を市民の手に」とのお話し。
スマートグリッド(電力の流れを供給側・需要側の両方から制御し、最適化できる送電網)が脚光を浴び、「送電拠点の分散化」が言われている今は、実はチャンスかもしれない、との発言もあった。
次回は「電力自由化がもたらしたもの」です。
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